児童虐待相談対応件数が2007年度に4万件を突破、2010年度は4万5千件を越すのではないかと思われます。こんなに相談があり、事件も多い中、2008年度に制定された臨検(強制立ち入り調査)は、2009年度には1件しかなく、出頭要求もたった21件しかありませんでした。それに対し児童虐待死が107件128人もあったと報道されました
こんな場合、いつも児童相談所や学校の対応が問われ、その難しさが浮き彫りになります。担当員や教師の能力問題がメディアで論議されますが、筆者はそんな意見は的外れではないかと思います。何でも批判するメディア最大の欠点なんです。
担当者や教師はみんな一生懸命やっているんです。しかしこの問題には保護者のプライバシーという大きな壁があるんです。どんなに偉い人が担当しても解決出来ない複雑な要素が沢山あります。偉そうに批判文を書いているメディアの方、もしあなたの文章通りで解決出来るのなら、一度あなたが現場の担当して解決してみては如何でしょうか。
児童虐待の報告があり調査をし疑わしい家庭に踏み入ろうとしても、個人の権利を主張されれば何も出来ないのが現状です。虐待をしている親が、本当のことを言う訳はありません。子どもはいつも親を慕っているから親を守ろうとします。酷い虐待を受けてる子どもも親の味方なんです。
学校でも生徒からの信号を教師が受けたとしても、面談すら簡単にはできない現状なんです。
これらの環境は保護者達が長い年月をかけて作り上げてきたものなんです。
児童虐待による死亡事故が起きれば、必ずその予告のような出来事が近所で噂されているのですが、近所の人達もそんな家庭に踏み込むことは出来ません。
こんな状況でどうやって子ども達を救うことが出来るのでしょうか。
個人情報保護は時には加害者を守る武器になるんですよ。
この問題を解決するには、まず親の教育が最も大切でしょう。子どもの育て方を知らない親の教育です。こんな親たちは何でも保育所や学校が子どもに教えてくれると思っているんです。躾けは家庭で、教育は学校という認識がないのです。おじいさんやおばあさんとの同居が少なく、同居していても子どもを任せない親の増加もこの問題のか解決を遠ざけています。
お年寄りの躾けは子ども達、特に幼児には最高の指導者なんですよ。幼児とお年寄りの行動スピードやパターンが酷似しているからなんです。根気よくのんびりと子どもを育てることは、豊かな感性と穏和な心を産み出します。よく見かけるせかせかした親には出来ない事なんです。そんな子ども達が親になったときには少なくとも虐待はしないでしょう。痛みの分かる人間だからです。
『お節介おばさんは復活しないのかな?』
古き良き日本には、近所に一人や二人は [お節介で口うるさいおばさん] がいました。筆者もしょっちゅう怒られたものです。近所の人達が家庭の中に入り込んでくることも多く、こんな地域社会では虐待やイジメなんて考えられませんでした。
今はどうでしょうか。近所付き合いは少なくなり、会話は挨拶ぐらいしかしない地域が大半ではないですか?酷いところでは、表札もないから隣に住んでいる人の名前すら知らない人もいます。
また個人主義が常識となった日本では所得向上も手伝い、誰の世話にならなくても生きていける考えからか、面倒な地域活動に参加しない家庭が増加しました。その結果近所付き合いがなくなり、地域に関わるおばさんは、うるさいだけの本物のお節介になってしまったのです。
これ程希薄になった地域社会では公的機関に頼るしか道がなくなり、現状に至っているのです。
おそらく今後も増加することはあっても減ることはないでしょう。
平和で優しさに満ちあふれた家庭では、児童虐待は決しておきません。虐待をするような親は、幼少時に何らかの傷を負い、身体は成長しても心が成長しないまま親になった人が多いと思われます。
解決の道が見つからないなら、二十年後に親になる子ども達のために市域社会が立ち上がる必要があります。近所付き合いを密にするために、新しい考えを持った全員参加の自治会を作るべきです。子どもを中心とした地域ボランティアを活動をやるのも良いでしょう。目的は子どもの優しく健全な心を築くことです。そうすることでその子達が親になるとき、イジメや虐待が少なくなった世の中が生まれるはずです。
そしてその心が育ったときに、必ず [お節介おばさん] が存在するはずです。
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