2010年12月25日土曜日

童話 : みんしゅのゆくえ

 あるところにM社という、菅常務の懸命な努力で築きあげられた会社がありました。何回も何回も再編や合併を繰り返しましたが、いつもJ社の2番手となっていました。
 そのM社が、ある日、人気投票でユーザーの圧倒的支持を得て業界のトップになりました。
 J社の業界運営に不信感を抱いたユーザーが、M社に大きな期待を持ち、一度主導権を取らせてみようと思っての選択でした。

 これを機に、役員の中から社長に選ばれたのが、長年お母様から多額の小遣いをもらって、奥様と一緒にトップになる夢を追い続けてきた鳩山お坊ちゃまでした。
 小沢常務を会長に、菅常務を専務に引き上げ、外部役員の亀井取締役等を加え周辺を固めました。
 実務においても藤井財務担当役員や蓮舫総務担当役員など能力ある人材を配置し、期待の持てる布陣を敷きました。
 社員の評判もユーザーの評判も、当初は良かったのですが、政治も経済にも疎いお坊ちゃまは、J社が提携をし、今まで散々支えてもらっていた米国大企業の沖縄工場を、企業の同意も得ず思いつきだけで移転させると発表してしまいました。
 騒音や安全に悩まされ移転を望んでいた現地ユーザーは大喜びをしました。
 さらに、ユーザーに向けて補助金をバラ撒くなど、人気を向上させるため餌をバラ撒きました。
 しかし、移転予定先の各所で反対に遭い、何処にも移転先が見つからず、米国との関係が危うくなり始めた頃から、自分の思いつき発言が間違っていた事に気が付きました。
 また財源のないバラマキで、会社の台所は借金まみれになり、収入の減少が更なる悪化を生みました。
 しかし、大風呂敷を広げた手前、引くに引けなくなってしまい、その後も根拠のない強気発言を続けました。

 一方、小沢会長は全ての陳情や相談を自分の所に集め、真の実力者は私であると誇示してしまったため、社長との間に溝が出来てしまいました。
 財務の改革をやろうとしていた藤井財務役員の突然の辞任と、小沢会長の使途不明金問題をきっかけに、社長の周りには批判の声が大きく渦巻き、人気がどんどん低下していきました。
「もう自分の周りには信頼出来る人が誰もいなくなった。助けてお母様!」
 裸の王様となった嘘つき社長は、「私は愚かな社長です」と言って、小沢会長を道連れにして辞任してしまいました。
その際にユーザーや社員に約束をしました。

『引退します。もう二度と会社には戻りません!』

 時期をみて会社を辞める宣言をしたのです。

 その後社長になったのは、小沢会長と会社を二分して戦った菅専務でした。反会長派で周辺を固め意欲を見せ、ユーザーや従業員の信頼を少しだけ取り戻し、多くの皆さんは再び何かをやってくれる期待感を持ちました。
 小沢会長は一平社員(一兵卒)に戻って会社に貢献すると言って職を退きました。

 しかし、この新社長も政治経済にはど素人で、仙石秘書が実権を持ち、陰の社長とまでささやかれる事態となりました。オマケに役員各自が独自に活動し、執行部がバラバラになってしまいました。
菅社長は執行部を何とかしようと、経営そっちのけで権力争いに始終し、意地で社長の椅子にしがみついています。
 社員が仕事をしているので何とか経営は成り立っていますが、このままでは会社は潰れてしまうでしょう。

 菅社長はまもなく起訴される平社員の小沢さんに、使途不明金の説明を公開の場でしなさいと強要する事で、みんなの人気を取り戻そうとするのと同時に、他社との合併を模索し始めました。
 平社員の小沢さんはあくまでも無罪を主張し説明することを拒否しました。そして、新会社設立に向けて布石を敷き始めました。
 そんな時、鳩山お坊ちゃまは「会社を辞めるの嫌や。また役員になって頑張りたい」と我が儘を言い出しました。

 会社内は従業員やユーザー無視のまま泥仕合を演じています。借金も多く、本店だけでなく支店の採算も困窮を極めています。
 ユーザーは自分達の生活に多くの不安を抱え、この会社で大丈夫かなと心配し始めました。ユーザーは、一度やらせて見せようとの甘い考えがこの事態を招き、自分達が選んだ選択が間違いであったことに、やっと気が付いたのです。
 しかしもう手遅れで、日本はM社によってガタガタにされてしまったのです。

日本はこの二人の社長と元会長にぶっ壊されるのではないでしょうか?
元気な日本は果たして復活出来るのでしょうか・・・?

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